ぶっだがぶった

仏教から脳科学 トレードのことからサラリーマン勤続20年超えからニートを目指して行くことなど、脈絡もなく更新してまいります。

悔いのない人生を送ることとリア充になる意味は全く関係がない

1度きりの人生

悔いのないように生きたいと思っていた

 

その為にはいわゆるリア充になる必要があるのだと、やりたい事は全てやるべきだと予定を詰め込みまくり

 

スケジュール帳は予定でビッシリ!

バイクのツーリングチームにもはいり色んなサークルにも入りBBQなどをしておりました。もちろん合コンも

 

傍から見ればリア充のような生き方

しかしそれとは裏腹に自分の心はどんどん疲れていったのです。

予定を詰め込んで楽しいことだけをする毎日が悔いのない人生に繋がるのだと信じてたのに

 

たまに1人になりたいなと思ってもひっきりなしに入ってくる誘いの連絡

そしてそれに参加する自分

 

なぜ疲れていったのでしょう。

それは悔いのない人生の意味を履き違えていたからに他なりません。

 

一生懸命生きる。悔いのない人生を送ることというのは今この瞬間に生きると言うことこそが真実だったのです。

 

この事に気がつくまでにずいぶんと時間がかかりました。

 

この瞬間を生きるというのは過去にも未来にも心を飛ばさないという意味です。

いくら傍から見て楽しいことをしていても心が今ココこの瞬間に留まっていなければそれは現実を生きていないのと一緒

 

人は今ココを生きていない時には過去の後悔や未来への不安の妄想を始めます。

それが苦しみを生み現実感を失わせていく

夢遊病患者みたいなもんです。

 

過去にも未来にも意識が飛んでいなくて今ココに集中している。それこそが悔いの人生を生きるということでした。

 

別に楽しいことをしていなくてもお金が無くても部屋でゴロゴロしているだけでも今ココに生きているだけで幸福感(現実感)は戻ってきます。

 

世間ではワクワクで人生を埋めつくそうという風潮が流行っています。これも今ココに集中(没頭)するのがいいという意味でしょう。

ワクワク(没頭)で今ココに生きるというのは正しいとは思いますが人生をそんなにワクワクするような事は多くない気がします。

  

人生のエッセンスは繁殖期である20代に詰まっていますので20代なんかはワクワクで埋め尽くすことも可能な気もしますけど

 

30代、40代になってくるとあらかた経験しているのでワクワクってのは少なくなってきまして何か面白いことないかなと考えながら生きていく人が多いのではないかなと思います

(個人的意見です)

 

そして身体が不自由になった。重い病気になったとしたら今までワクワクしてきてやってきたことは続けることは可能でしょうか?

病気でお金のない人は悔いのない人生を送るのは不可能なのでしょうか?

 

 

で、ダラダラと話してきましたが今ココに生きるのが幸福というのは間違いない真実であって自分は瞑想を習慣に取り入れることにしました。

 

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瞑想はまさに今ココに心を留める訓練であり習慣化することによって今ココに生きれる時間が長くなってきます。

悔いのない人生を送ると考えていること自体が思考なんで矛盾していますけどねw

 

過去の充実したした経験が将来の幸福を保証してくれるものではありません。

一生懸命手に入れたマイホームも、マイカーも最後まで持っていくことは出来ません。

 

しかし今ココに留まれる心の訓練をしたならばそれは死の間際まで持っていけます。

最後の最後まで充実した人生を送れる瞑想をぜひ初めてみてはいかがでしょうか

 

ほなっ!

 

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