ぶっだがぶった!

仏教から脳科学 トレードのことからサラリーマン勤続20年超えからニートを目指して行くことなど、脈絡もなく更新してまいります。

生まれてきた意味 科学的に考察してみた

どうもwanです。

突然ですが生まれてきた意味とはなんなのでしょうか?(´・ω・`)

そして生物の起源とは?

 

こういう事を考えるのが個人的には好きです

そして論理的に解明していくのが好きなんですねえ(暇人)

勉強するのにはかなり難しい本を色々読みまして頭から煙が出ております。

 

賛否両論ありますでしょうが自分の認識を分かりやすく説明してみます

内容は下記の本を噛み砕いたものです

 

利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>

 

 

まず生物が生まれたのは全くの偶然

 

原子のスープからうんたらかんたら・・・・と書いてありますけど

ようは台風の後に偶然ジャンボジェット機が出来たのと同じくらいの可能性らしい…

宇宙は何万億年も存在してますからそのような偶然も確率論的にはあるそう

 

というわけで原子の元を何万億年もグチャグチャかき回してたらなんか生物が出来た!

というのが種の起源なわけですな

んで生物は生き残るために恐るべき方法を導入します。

それが遺伝子です。

生物には終わりがありますが遺伝子は繁殖するかぎり永遠に残ります。

 

そしてこの利己的遺伝子を分かりやすく説明すると

遺伝子こそ本体であり生き物は遺伝子の乗り物にすぎないということ

これが生まれてきた意味となります

 

 

親が自分の身を犠牲にしてでも子を守るというのは遺伝子に事前にインストールされたプログラム

そして兄弟は2人 従兄弟は8人で自分1人と同じ遺伝子を集めたことになりますから兄弟従兄弟には特別な価値観を持つように出来ています。

まあ仲には例外もありますが兄弟 従兄弟が亡くなると他人以上に悲しむのは自分の遺伝子を持った人間がいなくなるのを防止するプログラムが働いているから

 

まあここまでは妄想の域を超えていないような気もするのですが

ここの部分は下記の本を参考にしました。

 

そんなバカな!―遺伝子と神について (文春文庫)

そんなバカな!―遺伝子と神について (文春文庫)

 

 

で、大事なのはここからで遺伝子は本人の幸せを無視して利己的に振る舞い繁殖に特化するというところ

遺伝子にとっては個体(自分の身体)の幸せなんかどうでもいいのです。

鮭を例にとって話をしますと鮭は自分の命を顧みず産卵期になると川を遡上し傷だらけになりながらやっとの思いで産卵します。そして産卵すると個体としての役割を終え息絶えていくのです。

これを人間に置き換えてみると幸せなのでしょうか?

自分が鮭であれば産卵なぞしないで海でそのままのんびり一生を終えます。

 

また個人的にはこの考えは仏教に通じるものがあると思っています。

仏教とは遺伝子に操られる人生ではなく遺伝子の呪縛から開放され人間が人間として生きるための教えなのだと

 

生き物の行動や苦しみはほとんどが繁殖の為に生まれていると言っても過言ではないでしょう。

思春期を迎えると男女共にお洒落に目覚め暴力的になりパートナーの獲得競争に突入、そこでパートナーを得られなかった個体は生存競争に敗れたということになります。

それならそれで独り身で気楽に生きていけばいいと思うのですが遺伝子はそれを許してくれません。

本能の奥深いところでこれでいいのか?これでいいのか?という暗黙のメッセージを発し続けます。そして自分の人生は間違いだったとかの苦しみを勝手にしかも永遠に問いかけてくるのです。

 

パートナーに対する嫉妬も遺伝子が産んだ幻

自分の遺伝子を残してくれるパートナーが他の個体に行ってしまうことはなんとしても避けなければなりませんからその為に生まれた感情です。

 

いかがでしたでしょうか?

生き物がいかに遺伝子に翻弄され生きているということがわかると思います。

仏教では「全ての生けとし生けるものが幸せでありますように」という慈悲の瞑想がありますが全ての生き物が遺伝子に翻弄される一生と理解出来た時にこの慈悲の瞑想は非常に納得できるものがあります。

 

一切皆苦 人生とは苦である

仏教は宗教ではありません。2500年も前から教えられた徹底して科学的なメンタルコントロール術なのです。

幸せになることは保証できませんが苦しみが少なくなることは保証いたします。

ぜひ皆様も仏道に足を踏み入れてみてはいかがでしょうか?

 

仏教と科学が発見した「幸せの法則」

仏教と科学が発見した「幸せの法則」

 

 

 

池上彰と考える、仏教って何ですか?